hidetox.com blog
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ベンチャーに経験豊富なベテラン人材が流れない日本
シリコンバレーでは、コンピュータの発展に貢献して生きたまま伝説になった人がベンチャー企業にいる。
「インターネットの父」がGoogleにいたり。
日本では、どうだろう?
優秀な才能が国外に流出している。
もちろん、個々人の自由な意志を尊重すべきだ。
だから、海外に行った人を非難することはない。
また、国境を越えて活躍する才能にとっては、とくべつ「日本を見限った」という意味もないのかもしれない。
たまたま、そのときベストな環境が海外だった、というだけかもしれない。
とはいえ、
山崎元氏とか藤巻健史氏とか大前研一氏とか村上龍氏とかいろんな人が指摘するように、優秀な頭脳が次々に海外流出していくな。
最悪だ。
俺は日本で仕事をしているので、日本の業界、企業、市場が盛り上がって欲しいと思う。
若者だけのベンチャー企業群ではダメだ。ベテランの力が必要。
かといってベテランが集まって作るベンチャー企業は最初から国内市場しか見てない企業が9割。
面白くない。
べつにそういう会社を否定するつもりはない。
ただ、全体としては、もっと面白くなって欲しい。
どうすれば経験豊富で業界をリードするような才能が日本のベンチャー企業で活躍するようになるのか?
ベテランの知見をベンチャーで活かしてもらえると、いったいどんなクリエイティブなプロダクトが世に出るんだろう?
そのためには何が足りないんだろう?
文意を汲むのって難しいよね
分裂勘違い君劇場 – 子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
さすが「分裂」というだけあって、じつに要約しにくい文章だ。「要約しにくい」=「結局何が言いたいのか分からない」。もちろん芸としてやっておられるでしょうし、楽しませて頂いてますから、批判ではない。これはこれで。
あくまで「他の人は、こういう文章を真似しないように」という意味で。
まあ、試しに要約してみよう。重要そうな箇所を抜粋してみる。
ぼくが日々実感している、「勉強することによる具体的で直接的で切実なメリット」は次の4つ。
(1)もっと楽しく遊べる
(2)もっと楽しく仕事ができる
(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる
(4)騙されてひどい目に合いにくくなる
しかし、現実には、先生の魅力次第なのよ。教える先生が、勉強のホントウの面白さがよく分かっている、人間的にもめっちゃ魅力ある子供以上に子供っぽい先生なら、その魅力は、いくらでも子供たちに伝えることができる。
というか、もっと深刻な問題は、そういう勉強のおもしろさに対する感受性のない子供、生まれつき菅原道真に忘れられちゃってるような子供がいて、そういう 子は、たぶん、別の人生を目指すべきで、無理に勉強すると、かえって不幸になるから、そういう子にまで「勉強しなければならない」とかいうのは、ほとんど 犯罪的だと思う。
勉強なんてできなくったって、すばらしい人生を送る方法はいくらでもあるんだから。勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない。
これをどう要約するか、というときに、一つに絞るのが難しい。
(a)質問への直接的な回答として(どのように子供に答えればよいか?)
→「(1)もっと楽しく遊べる、(2)もっと楽しく仕事ができる、(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる、(4)騙されてひどい目に合いにくくなる。こういう風に、よりよい人生を送ることができるようになるから、勉強はした方がよい」
(b)「勉強の楽しさ」をいかに伝えるかについて
→「子供から『どうして勉強しなきゃいけないの?』と聞かれたときに、どう答えるかが問題なのではなく、『どんな先生が答えるか』のほうが問題だ」
(c)むしろ「勉強すべき理由を納得させる」以前に、その子の勉強への適正について
→ 「生まれつき勉強に向いていないような子供に、無理矢理に勉強を強要すべきではない。勉強が出来なくても楽しく生きていける方法を教えるべきではないだろうか?」
(d)結局は勉強は「人生を楽しく生きるための手段の一つ」にすぎない
→「勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない」
要約は機械的な作業ではない。編集という行為であり、そこに主観が入る。
だから、どれが正しい、ということはないと思う。
(国語の試験ならどれかを選べという問題になるだろう。断言するけど、どれを選んでも間違いではない。正解にすべきだ)
で、じつは、この回答へ、質問者から回答というコメントがついている。
ありがとうございます。とても読み応えがありました。
こんな回答をいただけるのがはてなの醍醐味だと思います。
アメリカ人の中年夫婦との会話の中で出てきたジョークやネタ、読んでるだけで楽しい雰囲気が伝わってきます。(そしてやっぱり理系のネタにはとことん弱い 私…わ、わからん…)こういうのをポンポン発して笑いに持っていくには互いにある程度の水準に達していないとダメなわけで、まぁ知らなくても生きていくこ とはできるんだけど、知ってればこういう楽しい経験もできるということがよくわかりました。
勉強に対する感受性のない子供、かどうかというのを見極めるのも大切なことですね。
とある。
質問者は「読み応えのある回答」 だと評している。
ここから、回答者(fromdusktildawn氏)の言外のメッセージを感じ取ることもできる。(回答者の意図とは異なるかもしれないが)
(e)「勉強してきて、人生を楽しんでいる人間」を体現してみせた
→(勉強すれば、ここに書いたような体験ができたり、こういう文章を書けるようになる)というメッセージ
内容云々ではなく、この文章の本質は、こういうメタなメッセージではないだろうかと思った。
これは上述の(a)そのものであった。
よって、この文章(回答文) を一行に要約するなら、(a)が適切だと思うが、どうだろうか?
実際には本人に聞いてみないとわからないし、さらにいえば、本人が自分の意図を必ずしも満足に文章で表現せしめたとは限らないわけなので、要するに真実はどこにもないというのが「文意を汲む」という行為の真実だ。
ただ、今回は文章のメタな意味とあわせて解釈した結果で、かなり深く読んだので、そう外れてはいないのではないか、とも思う。いや、それ以前に、本人の意図と一致しているかどうかは、関係ないんだ。読む人、要約する人の意図に沿っていればよいのだから。
(その点で、自分用の要約はどうであっても害はないが、たとえば書評など、『人に伝えるための要約』には、場合よって著者の意図を歪めうる可能性があるため、要約者は慎重になるのが誠実な態度というものだろう)
さてさて、最後に、この記事(私が書いた今回のブログエントリ)の核となるメッセージはなんでしょうか? あててみてください(笑
「仕事がデキる」とは
分裂勘違い君劇場 – 未来の転職が、過去にさかのぼって現在の自分を有能にする
要するに、仕事というのは、意志決定の連続であり、どれだけ質の高い意志決定ができるかで、
仕事の質が決まります。
そして、質のよい意志決定をするためには、
「なぜ、自分は、この行動を取るのか?ほんとうに、この行動が最適な行動だと言えるのか?」
ということを、徹底的に自問自答しながら行動しなければなりません。
有能な人というのは、常にそれをやっているわけです。
これはとても分かりやすい。
とても良い。
■全体のサマリ
中途採用の面接では、自分が過去に取り組んだ仕事について質問されます。
しかも、ごまかしがきかないよう、具体的な行動内容を、細かく聞かれます。
広く浅く訊くのではなく、何カ所か適当に選んで、狭く深く訊いていきます。
おもしろいことに、有能な人というのは、そういう具体的な行動を聞き出すと、
細部まで鮮明に覚えていて、スラスラ答えます。
一方で、無能な人というのは、まずそもそも、細部を覚えていません。
理由を問い詰めても、曖昧な答えしか返ってきません。
このため、無能な人は、いくら面接マニュアルを読んで体裁だけとりつくろっても、
この「狭く深く」タイプの質問をされると、すぐにボロが出て、
面接で落とされてしまいます。
この、「狭く深く」タイプの質問に模範解答するには、
普段から、最高品質の意志決定をし続けなければなりません。
常に、それがその時点で最高の判断である理由を、誰もがなるほどとうなずく説得力のある言葉で、
明快に説明できるようにしておかなければなりません。
その方法は、こういう理由で、問題があったのではないか?とつっこまれたときに、
きちんと反論できるようにしておかなければなりません。
常に、3年後の転職の面接の時、スラスラと答えられるようにと、意識しておかなければなりません。
こうして、常日頃から、3年後の転職面接で、どう外面を取り繕うかを
気にしながら仕事をしていると、次第に中身も充実し、本当に有能な人間になってきます。
俺は専門バカが死ぬほど嫌いだ
それだけ潜在的な読者がいたのに、私も含めて学者はそれを掘り起こす努力をしてこなかった。学者は、特殊な訓練を受けていない人に、ある分野の内容 を「こういうことなんですよ」って噛み砕いてお伝えすることが大きな仕事だと思うんですけど、それを全然やってこなかったし、それが評価されない仕組みに なっているんです。(via 「内田樹インタビュー 構造主義がこんなにわかっていいのかしら」 スペシャルインタビュー | Excite エキサイト : ブックス)
この内田っていう人のスタンスは好きだ。
だいたい専門家とか知識人とか学者とか大学教授なんていう人種はこういう世間と向き合おうとしている人を底が浅いだ のなんだのって批判する。奥が深い症候群。なんか小難しい話をしていれば安心がる心理。
ニートの全能感みたいだな。
2ちゃんねるであらゆる物事を批判しておきながら、自分は家にひきこもり、親のすねをかじり、食事・洗濯・掃除あらゆることを世話になり、社会になんの価値も提供していないひきこもりニート。
大学に引きこもり、大学という機構になにからなにまで世話になり、立場を保証され、○○大学の教授という肩書きによって存在価値を保ったつもりで、偉くなったつもりで、世間で泥にまみれて働いて税金を納めて大学教授を食わせてやっている多くの職業人の何の役にもたっていない大学教授。
同じだ。まったく同じだ。
そういう専門バカは死ぬほど嫌いだ。
じゃあ誰が好きかを言っておこう。茂木健一郎氏は好きだ。腹が据わっている。同時代で評価 される業績なんて100年後には消えるものだ、と言い切っている。それを言った瞬間に自分にものすごいプレッシャーがかかるわけだ。100年後にも残る業績を残す、と覚悟を決めた宣言の言葉だ。
そんなことを言う学者は同業者の専門家達にはバカにされる。批判される。あちこちの職場で肩身が狭くなる。
仕方ない。専門バカにつける薬は無いので、どうにかしようとは思わない。どんなにやる気をそがれても、くじけないで欲しい。
あんた達の背中を追っかけて、俺も頑張るよ。
同業者になんと言われようとも「世間」「大衆」と向き合うことを忘れない立派なプロになるよ。
どうやら「茂木健一郎の活動は良いと思う」とかいうと「あいつは浅い」とか言う人間が増えてきているようだ。まったく構わない。そういう人は実践主義者じゃないんだろう。現実の世界でいかに生きて、いかに貢献するか、ということに関心がないんだろう。「どっちが賢いか」という知識のひけらかし合戦に夢中なんだろう。
大学にひきこもって「高尚な研究」に没頭している学者先生のほうが偉いのか?
テレビで発言したり、一般人に向けた本やブログを書いたり、泥にまみれながら実社会での実践に励んだりするような人は嫌いか?
じゃあ、なんのための学問なんだ?
学者の価値は、学者が決めるんじゃない。
学者以外の人間が決めるんだ。
学者同士で評価し合ってるのは、引きこもりニートが2ちゃんねるで馴れ合っているのと同じだ。気持ち悪いんだよ。
ネットアイドルhidetoxは内田樹さんと茂木健一郎さんを応援しています。
追記:言い過ぎた。今は反省している。